仕事中に39℃の発熱。その時わたしは

日記

こんにちは。鈴木努です。
隣でカメラ回して下さってる女性がいい匂いすぎて仕事に集中できない日も生きていればある。


今日は恥多き記事です。

約1ヶ月前、笠松競馬場への出張の際に体調を崩し、途中から先輩の泉アナに交代していただくことになりました。

本当にようやく調子が元に戻ったので今日は、なぜこんなことになったのか、またその時その時の心情を素直に振り返っていこうかなと思います。

異変を感じたのは

ボロボロの声で笠松競馬場にて実況をしたのは5月10日。
仕事を休むことになったのは、5月の11日、12日。
実はそれ以前から調子は良くありませんでした。

具体的に書いていくと、8日からもう様子がおかしかったです。
その日は大井競馬場で仕事をしていて、この時期にしては随分と冷えた一日でしたが、それにしても寒い。
尋常ならざる寒さに感じられて。

喉も若干むずむずするような感じで、声はマイク乗りこそ悪くないものの、発してる本人の体感としてはどうにもザラザラしている感触を得ていました。

それもそのはずで、帰宅して熱を測ったところ、もうこの時点で体温計は39.3°をさしていました。

体温計を見つめては、真っ先に

「それでも仕事は簡単に休めないな」

と思ってしまったんですよね。

この考えが、最初にして最大の間違いだったと思います。
意味を履き違えた「責任感」にこの時の僕は取り憑かれてでもいたのか、休むという選択肢を完全に排除していました。

それでいて当時を振り返ると、この体調不良を乗り越える自分なりの勝算とわずかながらも希望がこの時点では残されていました。

それは

「移動日にあたる9日の火曜日で治せばいい。まだ時間はある」

というパワー系の発想で押し切ることが一つ。

そして熱はあれど、この時点では

「そこまで声にはまだ大きな影響が出ていなかったこと」

これが2つ目で且つ決め手となり、僕は予定通り出張を敢行することにしました。

出張へ〜10日の水曜日を迎えて

火曜日は早めに岐阜へ移動。
薬(総合感冒薬)もしっかり飲んで身体を休めることで、水曜日の朝には熱は平熱近くまで下がりました。
なんでもいいけど、この時食べたアイスのザ・クレープが尋常ならざる美味さだった。

熱は下がるには下がったんですが、ここで平気だと思っていた喉に痛みが出て来てしまいます。

競馬場に向かい、マイクテストを行う。
この時点で、もう声の出が相当悪く
「これはかなりの省エネモードではないと厳しい」
と思いました。

「大は小を兼ねる」なんて言葉がこの国には存在するようですが、競馬実況、他の競技の実況もそうだと思いますが、普段から80%〜120%。
時に150%くらいまで声を張っているような人間が、いきなり30%程で喋ろうと思っても全く調整が上手くいかないものなんですね。

マイクの前だとどうしても発声の強度も普段とおんなじになってしまいます。
これは普段喋りと仕事喋りとで大きく自分の中でスイッチを切り替えるようにしている影響も大きくある感じがしました(多分ここは人によりけり)。

そんなこんなで弱っている時に普段通りの強度で喋ろうとすると、声はガサガサですぐ裏返る。

それでも10日に関しては、省エネのコツを掴みつつ最終レースまでの実況を終えることができました。

本当の悪夢はここから

ホテルに戻り、安心したせいなのか、ここからまた体温が上がり始めます。
それと同時に今度は全く声が出なくなりました。。。

それでもそれでもココで焦ってはいけない。
とりあえずシャワーを浴びて、眠ればきっと治る。大丈夫。
一生懸命に楽観的に物事を考えるというおかしな状況。

ベッドに入り目を瞑るものの、、全く眠れない。寝付けない。

明日が不安?声が出ないから?
それももちろんですが、何より人間って高熱が出て本当に体調が悪いと眠ることができないんですね。

もう、全く眠れない。
アメリカ米軍式睡眠法でもシャッフル睡眠法でも雨の音BGMを聞こうとも全く眠りにつくことができませんでした。

しかし、しかし、だがしかし、
この局面においても明日にはきっと良くなる。
今が山のはずだからしょうがない。

と思い込み、かなり粘ってしまったんですよね。

本当に良くなかった行動と判断

ここまで読んでくださった方にはもうお分かりかもしれませんが、もう正直いうとめちゃくちゃしんどくて、どうしようもなくて、絶対的に早々と白旗を挙げた方が良いのに、それでも自分が自分を長い時間奮い立たせてしまいました。

先にも書きましたが、この時の僕は何かに取り憑かれていたがごとくの粘り。

後付けの理由になりますが、それはこの出張自体が1人で行うもので簡単に代われるようなものではないと考えていたからなのかなというのが一つ。

それから、はじめから39℃〜40℃超えの熱が出ていたので、もう冷静な判断力を失っていたとも思いますが、なんにしても会社や先輩方に

「ごめんなさい明日無理です」

と伝えるタイミングが極めて遅くなったことは本当に良くなかったです。
はっきり言って最悪そのものでした。

そんな中でも奇跡的に話はスムーズに進んでいき、翌日から泉アナに交代していただける運びとなりました。

ただ、もしあの場面で上手く連絡がつかなかったらと思うとゾッとしますし、一体自分は何をしているんだろうと本当に思い出すたびに自己嫌悪で塞ぎたくなりますね。

この交代打診で厳しいことを言われるのは覚悟の上でしたが、我関せず焉なのでしょうか、何も言ってもらえない方が辛かったりするものです。

その後…

連絡を終えた後に失神してしまったり、翌朝も全く声が出ない状況は変わらなかったので、岐阜県内の病院へ。
処方された薬を服用して、熱が下がり次第すぐさま帰宅。

しかし、高熱が何日も続いた影響なのか身体にとても大きなダメージが残り、とりあえず回復するのに時間がかかりました。

翌週から仕事に復帰したものの、本調子とは言えないような状態が長いこと続いていました。
空咳も止まらないし、声の調子も正直一息。
食欲も思ったように戻らず、体重も落ちたまま。

言葉悪いですが、ごまかしごまかしでこなす時間も長く、これも一つの勉強と思って取り組んではいましたが、やっぱりこういうのは精神的にも落ちる時間が長く続きました。



今回学んだこと、今後に活かそうと誓ったのは

・「責任を果たす=無理をする」ということではない
・総合感冒薬は症状を一時的に抑えたり、緩和するもので、根本的治療には至らない。
・改めて報連相がしっかりできるようになる。相談も報告も早いに越したことはない。

僕は自分が休むことで周りに迷惑がかかるという考えのもと無理を重ねて、結果的にそれ以上の迷惑をかけてしましました。

ですが
「身の回りの誰かの体調が悪い時」
これを自分に置き換えて考えてみると、別に迷惑だなんて思わないものです。

どうして自分自身が体調を崩した時は迷惑をかけてしまうと思ってしまうのでしょうね。
ひとまず上3つはよく思い出すようにします。

自戒をたっぷり込めてですが、みんなもまず自分を大切にしようね。
そして報連相しっかりね。。。


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