最近一番笑ったのは、
Youtubeで粗品チューブの「太客と喋ろうのコーナー」にて、アフリカからファンの方に赤スパを送られた粗品さんが
「アフリカまで来ると競馬じゃなくて、競象やろ」
という軽いボケをかましたところ、他のファン方から
「競象ならハナ差えぐいやろ」
というコメントが来たエピソードですね。センスえぐい。
呪われた運命
3月にも関わらず、東京でも1cmの降雪を観測したってどうゆうことなの!?と思ったこの日、仕事場へ到着するも馬場コンディションが整わず開催中止に。
こればかりは仕方ない。帰ろう。
あ、これからなかなか日程的に実家へ帰れそうな感じもしないから急だけど、寄ってみるか。
と急遽進路を変えて実家へ。
かれこれ実家を出てもう何年ですか…やばい思い出せない、まあ今年で4年か5年くらいになると思うんですが、来るたびに家族があたたかく迎えてくれてありがたいなあと思います。
なかなか連絡もマメに取る方ではないので、こうゆう時に親の有難みや優しさを心から感じます。
社会人になってからもまともな親孝行ができていないので、なんとか両親が健在のうちにしないとなあ。
なんにもできてない自分情けないなあと思ったり、感情は様々。
これは実家出ていった人間あるあるじゃないかと思うんですが、自室がある人はそこ物置にされがちで、僕の場合もまあそんな感じ。
ただ昔の宝が眠っている場所でもあります。
今回発掘したのは、おそらく小学校6年生だったかな…の時に図工の授業で作ったイス。
皆さんにもお見せしますね。

…
あのさ…このガキの思想強すぎるでしょ。
中山競馬場の芝コースのゴール板をモチーフにイスを作る小学6年生。
自分が先生だったらどんな評価をしたらいいのか分からない。
そしてもし自分に子どもができたのであれば、あまりこんな風にはなってほしくないかも。
現状妄想でしかありませんが、子どもにはあまり競馬には興味持ってほしくないかなと思ってます。
お金なくなるからね。シンプルに。
これまで競馬一色の人生…というわけでもありませんでしたが、それでも競馬は自分の中では強く大きな存在として今に至っています。
自分の人生が終わる時、仮に比較的穏やかな最期だとするじゃないですか。
で、走馬灯も子ども時代からゆっくり見られますとなった時に、人生で思い出せる最初の風景がウインズ後楽園の馬券発売機から離れた壁際で、新聞を床に敷いてお父さんが馬券買ってくるのを待っている光景が思い出されるかと思うと、気持ち的にはあまり穏やかではない気がするんですが、どうなんでしょうね…。
食あたりかまってちゃん
休日に妻が、きのこ(しいたけ、ひらたけ、まいたけ)をオリーブオイルと塩とニンニクでソテーした料理を出してくれました。
アヒージョに近いこの料理は大変美味しくてむしゃむしゃ食べていたんですが、この日の夜急激に体調が悪くなりまして。
具体的には、寒気が止まらない。
熱はないものの、ずっと風邪を引いたときのような悪寒に襲われました。
う~んこの日は、お酒も入っていたので、アルコールが抜ける時の作用なのかなとも思いましたが、結局朝まで半寝半起きともいうんでしょうか。
普段にもまして良くない夢にうなされたりと悲しい思いをしました。
今の仕事を始める前や、また喋り始めた当初は実況アナウンサーあるある的な仕事ミス系の悪夢を見ることが多々有りましたが、最近はその比じゃないくらいかなりタチが悪く。
この日見た夢はひときわカオスで、電車で連れて行かれた先で「先生」と呼ばれる車掌と二人きりになり、
「君はうつ病にかかっているから、もう何もかもやめてしまいなさい。どうするかは今、車内のトイレで考えてきなさい」
と言われ、色んな考えがぐるぐるする中でトイレから出ると、電車から新幹線に場面が転換して、そこで隣りに座ってきた男の子に、イタズラで急にハサミで髪を切られてしまったり。
それでいて、新幹線は何故か千葉県の外房の海岸沿いを走っているんですが、その周辺では、その男の子を狙っている鷹がいて、これからその子を守らなければいけないガイダンスを車内で受けなければならない…
というほんとにここまで読んでいただいた方には申し訳ないくらい意味不明な夢を見ました。
これには夢占いも涙目。
ありとあらゆることで悩みが尽きないのは確かで、ヤワだと言われてしまえばそれまでなのかもしれませんが、特に昨年末からだいぶメンタル的に消耗する時間が長く続いていて、当面の問題が解決した今ですらまだ回復しきれていない感じ。
色々と引きずる男なんです…最近後悔すること自体がもう傲慢なことだと思いますが。
あの時ああしておけば…と思ったところで、現在と未来が変わる保証なんてどこにもないのに。
とまあ…それはそれとして、3ヶ月くらいまるっと休めば元気は戻ってくるのだろうか。
それとも美女にかまってもらえれば元気は戻ってくるのだろうか。両方が良い。それが良い。
ここ1ヶ月くらいの記憶を探る
先日、金沢で優馬の山崎啓介TMとご飯に行ってきました。
山崎さんとは、川崎の配信でご一緒したときから仲良くさせていただいています。嬉しい。

ご飯の約束をしたのが、たしか当日から2週間前くらいと記憶していましたが、山崎さんとお話していて既に1ヶ月前であることが判明。
お~恐ろしやと思って、恐怖を和らげるために仕方なくビールをたくさん飲ませていただきました。
正確には1ヶ月までとはいかんのやけど、2週間位まるっと記憶がないことになるのか…でも昨夏から毎日日記を必ずつけるようにしていまして(疲れてたり泥酔したときは翌日に繰越。泥酔とかしたことないけど)。
ここ1ヶ月、自分の書いたことでわすれてたけどまた読んでみて印象的だったことを箇条書きで供養します。
・ブラックサンダーのアイスを値札見ずに購入したら想像以上に高くてショック
・双眼鏡のスタビライズ機能はすごい。全然ブレないしもっと良い実況ができるんじゃないかと思い経費で落ちないかと相談したらけんもほろろで無理だった。
・朝アラームで起きるのは生物としては異常。目覚ましで起きているのは人間だけなんじゃないかと書きつつ、早起きができなくて毎日苦しんでいる
・都合が合わず、普段とは違う美容師さんにお願いしたらまるで会話が噛み合わずショック
・実況はAIと代替ではなく並行、つまりお客さん側が選択肢として人間とAIの喋りが選べる時代が来た時、皮肉にもそうなることで人間側の価値が上がるのでは
みたいなことが書いてありました。
あとは基本的に、一日の感想と読んだ本の感想や学んだことしか書いていません。
最近読書する時間がちょっと減っているなと。
ただそれ以上に電子だから気が付かないだけで、とてつもなく分厚い本に手を出してしまったみたいでここ1ヶ月同じ本をずっと読んでいました。
なんならまだ読了してない。
文章を最後まで読めるのは優しさの象徴。
文字を追えるのは、人の話をしっかり最後まで聞くことができる人間の証。
1冊の本には友達3人つくるのと同等の価値がある。
そういった側面から読書のメリットが語られたりしていますが、本当なのかな。
特に引っかかるのは「友達3人作るのと同等の価値が」ってやつなんですよね。
まあ、筆者と編集者の思いがしっかり入っているよと考えれば、その時点で最低二人分ではあるのか。
ということで33冊読めば、友達は約100人分ということなのでしょうか。
春から小学生になる姪は「1年生になったら~♪」がお決まりのフレーズである魔曲の練習を保育園で既にさせられていたらしく、せっかくなので
「一年生になっても友達は100人できないよ」
と伝えたところ
「うん、そうだよね~」
とあっさり返されました。
未来を担う若者は現実がよく見えているし、僕もそうでありたいなと思います。
それが本を読む動機の一つなのかなとも。
明日からサラリーマン七年生のわたしは、友達100人どころか、人の顔と名前が段々と覚えられなくなってきていてしんどい。
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